第三話 死人茸

5.命尽きて


 男が自ら『死人茸』を貪ろうとしたその日を境にして、男の中で何かが変わった。

 病が男を痛めつけると、『死人茸』が現れて痛みを拭い取る、そこまでは同じだった。

 しかしその日、男は痛みがひいた後もうつぶせのまま動かずにいて、『死人茸』の好きにさせた。

 (痛みを消す代わりに、私を少しずつ貪るというのならば好きにするがいいさ)

 軽く目を閉じていると、背中にしっとりとした重みが広がってきた。

 (……)

 首筋に舌が這わされ、背中に乳首が押し付けられる。 『死人茸』は彼の背中で、乳房を左右に揺すっている。

 (誘っているつもりか?……)

 逡巡して後、ややためらいがちに体をひねる。

 あぅ……

 『死人茸』は微かな鳴き声をもらし、男の首に腕を絡め、唇を重ねてきた。

 「ふ……」(これは何かの罰かもな……)

 自嘲気味に笑い、女の上唇に自分の口を合わせ、戯れるように滑らせる。 赤く濡れた唇が、乾いた自分の唇に心地よく湿らせ、同時に女と

己の命の勢いの差を思い知らされた。

 「……くっ!」

 頭の中で『死』の文字が躍りだし、ガタガタと体が震えだした。 黒い恐怖が心を犯していくようだ。

 あうっ……

 『死人茸』が、いきなり彼の頭を抱きかかえ、自分の胸に押し付ける。

 驚くほど柔らかい乳房が彼の頭を包み込み、白い闇と不思議な匂いで彼の視覚と嗅覚を奪った。

 (いきなり、なんだってんだ……)

 始めに戸惑いがあり、続いてすーっと心が安らかになっていく。

 (……心の痛みまで取ってくれようと言うのか? ご親切なことだ……)

 頭に回された手に力がこもり、顔がふっくらとした白い肉に埋まる。

 男は顔を微かに動かして、『死人茸』のふくよかな胸の感触を存分に楽しんだ。

 ああう……

 (……)

 男は『死人茸』に抱きすくめられたまま、静かに眠りに落ちていった。


 それからは、彼は毎日の様に現れる『死人茸』に、体を任せるようになった。

 『死人茸』は優しくかれを抱きしめ、白い肉体を体に絡めて来る。

 巧みな抱擁と、不思議な香りが彼の内に肉欲の炎を掻き立て、やがて二人は欲するまま睦みあい、戯れるように体をすり合わせる。

 気がつけば、起立した男根が『死人茸』の体内に導かれ、限りない優しさを湛えた、肉の襞に包まれている。

 「は……はぁ……」

 細かくゆっくりとした蠕動に、久しく忘れていた性の喜び呼び覚まされ、股間が縮こまって快楽の疼きを貯めていく。

 「は……う……」

 『死人茸』は彼の体の隅々まで擦り、舐め、快楽の中に沈めていく。

 彼は今まで感じた事のない喜びに浸り、ただ絶頂が訪れるのを待てばよかった。

 「あ……あぁぁぁぁぁ……」

 静かな愛撫は、ゆるゆると彼を高め、そして深い快楽の極みに上らせてくれる。

 深い絶頂で、彼は甘い夢を見せられ、深い眠りの中に沈んでいく。 


 男は死の恐怖を忘れ去り、静かに幸せな時が流れいていた。 だが、それも終わる日がやってきた。

 (暗いな……今はいつだろう)

 目が覚めたが、何も見えない。 手を伸ばしたが何も触れない。

 (……俺は死んだのか?)

 ふわりと体に抱きついてくる女の気配、『死人茸』だ。

 (……まだ生きているようだが……そろそろ終わりなのかな……)

 不思議なくらい、心が平穏だった……と、闇の中に白い女の姿が見えた。

 「ああ、まだ目は見えるようだな……」

 手を伸ばして『死人茸』の髪を透く。 彼女の顔の上半分を隠していた艶やかな黒髪が流れ、その間から憂いに濡れた黒い目が覗いた。

 「お前、目が?……そうか、やはり私は終わりなんだな。 これはお前が見せている最後の夢か」

 女の頬を撫で、ゆっくりと手の甲で胸を触ると、いつにもまして女の肌が手に吸い付いてくる。

 「……」

 手が乳房をゆっくり揉むと、指が乳房に沈み込んでだ。

 「……おいで」

 男は、『死人茸』を抱き寄せた。

 白く柔らかな女体をそっと抱きしめると、彼の体がじわじわと女体に溶け込んでいくのがわかる。

 「……あげるよ、全部」

 男は、『死人茸』を組み敷き、乳房の間に顔を埋める。

 甘い匂いの谷間が彼の顔を捕らえ、やがて頭がゆっくりと沈んでいく。

 (……感謝するよ……こんな安らかな最後を……迎えさせてくれて……)

 伸ばした指先を『死人茸』の手が握り締めた。 合わさった手が一つに解け合っていく。

 (……お前が最後まで側にいてくれたから……私は一人で寂しく逝かずにすむ……)

 絡み合った足が、じわじわと溶け合う。

 (……私の屍は残らない……お前の物になるのだから……私はただ消え去るんだ……)

 ぬめぬめした腹が脈打ち、男の腹と溶け合う。 もう二人の体は引き剥がせないほどに一つになっていた。

 (……お前にとって私は餌だったかも知れないが……感謝する……)

 『死人茸』の中に溶けていく男の意識に、女の……『死人茸』の声が聞こえてきた。

 ”貴方は私の父親……”

 ”貴方は私の恋人……”

 ”貴方は私の夫……”

 (……)

 ”貴方は私の全て……愛しい……愛しい……その全てが愛しい……”

 深い満足が、男の心を満たす。 愛しい女の中に溶けていく、それは不思議な安らぎであった。

 (ああ……しかし……お前は……お前は……)

 消え去る寸前、男の心に微かな気がかりが生まれた……が、それが形になる前に、男の全ては『死人茸』の中に溶けて消えていった。


 男の部屋、ベッドを覆うくたびれた毛布が払いのけられた。

 あぅ……

 ベッドの上で『死人茸』は身を起こし、手でベッドの上を探って男を捜す。 

 いるはずがなかった。 彼女がいるということは、男が彼女に貪りつくされたことを意味するのだから。

 あぅ……オゥオゥオゥオゥ……

 『死人茸』が鳴いた、悲しげに、いつまでも……


 カチャリ

 玄関のドアのノブが回り、静かにドアが開いた。

 チリン……

 錫丈を持った雲水が、そっと中に入って来る。 蒼海だ。

 「哀れなる妖(あやかし)よな。 己が愛した者の体を貪りつくして生を受け、再び愛すべき者を見つけしとき、その生が終わる」

 錫丈の先端を低く構え、足音を殺して中に入る。

 「せめてもの慈悲と思え」

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 雲水が口を閉じ、ゆらりとロウソクの炎が揺らめく。

 「……見てきたような話、の類だな」志戸が切り込む。 「あんたの身の上に起こった事じゃない。 その男が最後にどう思い、

何を感じたかは判らだろう」

 「ふむ……そうよな」 雲水が頷いた。

 「そして妖怪は退治されたと……あんたの話が本当だとしてだがな」 今度は滝が突っ込んだ。

 「……さて、それはどうかの」 雲水が立ち上がった。

 「は?あんたが今……」

 滝の言葉が途切れた。 気のせいか、雲水の背丈が高くなっている……そして墨染めの衣が、胸の辺りが不自然に膨らんで……

 「生あるものいつかは死ぬ。 どのような終わりを迎えるかは人様々……」

 ざわざわと音を立て、網代笠から雨が降る様に黒髪が流れ落ちてくる。

 「妖怪の女に食われて逝くも……」

 手甲を嵌めた手が、白髭を蓄えた口もとを隠し、撫でる様にした。 

 「!」

 妙にほっそりした手の下から、血の様に赤い唇が現れる。 笑みの形に歪んだ口が、老僧の声で笑う。

 「また一興……かっかっかっかっ……」

 そして、風もないのにロウソクの炎が消えた。

<第三話 死人茸 終>

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